星のオーケストラ

「ありがとう。いてくれて助かったよ。看護師さんにいちいち頼むのは申し訳ないし、自分でやるのはしんどいし」

飲みきれなかったりんごジュースのペットボトルのキャップを閉めて、冷蔵庫に仕舞った私にさっちゃんが言いました。

そういえば、私がさっちゃんに何かしてあげられたのってこれが初めてかも、ってその時思いました。

さっちゃんは5つ年上の母方の従姉妹で、勉強もできてピアノが弾けてヴァイオリンも弾けて、上に兄弟のいない子供の私にとってはお姉さんのような人でもあり憧れのひとでもありました。

ただ小さい頃の5歳の差は大きく、年齢よりも大人びていて勉強にレッスンに忙しい彼女にとって私はただただ付きまとってくる泣き虫の幼児に過ぎなかったと思います。そして、そのイメージはおそらくその後ずっと変わらなかったはずです。

その後、ヴァイオリンの演奏家になってますます忙しくなった彼女とは親戚の法事ぐらいでしか顔を合わせることは無かったのですが、5年ほど前にLINEを交換したことから交流が再開しました。

とはいっても、直接会うことは殆どなくLINEのやり取りがメインだったのですが……。筆まめな彼女は連絡をすると必ず返事をくれました。私はとても嬉しかった、なんだかちょっと彼女と対等になれた気がして。大人になったって認めてもらえた気がして。だからこれからもっと仲良くなれると思っていたし、与えてもらえるだけじゃなくて彼女にも頼ってもらえる関係になれると思っていました。

本当にその知らせは突然でした。彼女が病気で入院していることを聞いた次の日に、半日かけて私は彼女のお見舞いに行きました。本当は、お見舞いの気持ちを伝えてさっさと帰るべきだったのですが、サヨナラが言いたくなかった私はいつまでも枕元に張り付いていました。まるで夏休みに彼女の家に遊びに行って帰りたくなくてぐずっていた小学生の私です。

その時に彼女が言ったのです「ありがとう。助かったよ」って。

彼女が星の演奏旅行に旅立ったのは、私がお見舞いに行ったその10日後でした。

対等になりたいと、彼女に何か与えられる人間になりたいと思っていました。でも結局私に出来たのはペットボトルのキャップを閉めて冷蔵庫に仕舞うことだけでした。

今まで何人かの親戚や知人を見送ってきました。もちろん後悔がある悲しいお別れもありました。でも今回のお別れに感じたのは悔しさです。私とさっちゃんのあったかもしれない未来がなくなってしまったのが本当に悔しい。

さっちゃんの悔しさを思うより先に自分の悔しさを先に思ってしまう私はきっとまだまだ人に何かを与えられる人間ではないのでしょう。

いつか私が彼女の星の演奏会を聴きにいける日くるまでに、誰かのためにペットボトルのキャップを閉める以上の事が出来る人間になっているでしょうか。

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