最初に一言:今回はいつも以上に想像力(妄想力?)の火力高め、そして意味なく長めでお送りします。
先日、吉備津神社の「鳴釜神事」を知人と体験してきました。
岡山県民の皆様はご存じの通り、鳴釜神事は桃太郎伝説と深く関わりがあります。
吉備津神社の御祭神である「吉備津彦(きびつひこのみこと)」は「桃太郎」そして「温羅(うら)」というのは「鬼」の役割を与えられた人物です。神社のHP及び当日神主さんから伺ったこの神事の起源はざっくりと次のとおりです。
第10代崇神(すじん)天皇の時代、「朝廷に従わないものが地方には存在する!」ということで、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が朝廷から山陽道に派遣されてきます。そして吉備の国にいる温羅(うら)の首をはねてさらし首にします。さらし首にされた温羅が大声で唸るので、困った吉備津彦は犬に温羅の首を食べさせて(!?)ドクロにしますが、唸り声が止まないので釜の下に埋めてしまいます(!!?)それでも唸り声は止まないので困っていると夢に温羅が出てきて「私の妻の阿曽媛に釜でご飯を炊かせれば、幸ある時は高らかにうなり、禍あれば荒々しくうなろう」と告げました。そしてその通りにすると唸り声も治まり平和が訪れました。
これが、鳴釜神事の起源だそうです。
・・・・え?色々とツッコミが追い付かないのですが、とにかく桃太郎氏の所業がかなりアグレッシブなのでは?平和に暮らしているところを攻め入ってさらし首。そこまでは、まあ時代なのでしょうがないのかもしれません。しかし、唸って煩いから犬に食べさせて、それでもダメだったから釜の下に埋めてしまう、とはかなりザツなやりようでは。残した給食じゃないんだから・・・って思ってしましました。
怨霊になった温羅氏もちょっと適当では。「妻に釜を炊かせろ、そしたら大丈夫」と桃太郎氏にお告げするなんて、丸投げされて奥様も困ったのではないでしょうか。お気の毒です。
でも、それが双方の落とし所だったのかもしれません。桃太郎氏は今後の統治を考えると、温羅の残党とこれ以上揉めるたくない。温羅氏は自分が「鬼」となって桃太郎氏の下に着くことになっても、復讐などで吉備の土地や人々を傷つけたくない。「米を炊く」という日常の行為をほかでもない温羅の妻が敵?の本拠地で行うという事で、人々になによりも「戦いは終わり日々の営みが戻ってきた」という事を印象付けたのではないでしょうか。
そして鳴釜神事。この神事は釜の音の大小長短により吉凶禍福を判断しますが、その結果については神主さんはなにもおっっしゃいません。自分でその音を感じて判断しなければならないそうです。
果たして私の耳に聞こえた音は、まるで映画のDolbyサウンドのように、空間全体に響いているように聞こえました。低く、重く、とこからともなく包むように響いてくる音は「色々あってもきっと来年もなんとかなる年に違いない!」と、良い映画を一本見た後のような爽快でポジティブな気持ちを私に与えてくれました。
そして最後に私が神社で目にしたものは、厄除けのチラシ。「来年、一白水星は八方塞がり(どの方角においても障りがある)!」
そう、私は一白水星。
本当に「来年はなんとかなる」かなあ。チラシ一枚で揺れ動く心。釜の音の余韻とともにポジティブな気持ちは足早に消え、結果を語らない鳴釜神事の自分の解釈に一抹の不安を感じつつ、吉備津神社を後にしたのでした。
追伸:同じ首でも「唸る」だけ、という温羅の恨みアピールの仕方が「雷・疫病・天変地異」フルコースの平将門公の首と比べて控えめなのは、この点でも温羅さんは地元である吉備の地や民の生活を荒らしたくなかったからなのでしょうね。



