先日、初めて祇園祭の前祭を見に行き、長刀鉾の粽をいただいてきました。
「イケズ」とか「ちょっと嫌味?」なんて言われて少しばかり冷たいイメージもある京都ですが、この日はそんなイメージとはまるで違いました。
普段思い浮かべる、緑や茶色を基調とした「わび・さび」をかなぐり捨て、町中が祭り一色。熱気と活気に包まれた京都に圧倒されました(実際、気温はめちゃくちゃ暑かったですが)
帰ってからしげしげと粽を見ると、「蘇民将来子孫也」と記載が。
祇園祭の初心者の私は何のことやら分からず「西日本の人間としてこれではいけない」と思いたち、興奮と余韻が冷めないうちに色々と調べてみました。
皆様はご存じかもしれませんが、以下は私が調べた牛頭天王と蘇民将来さんの物語です。
牛頭天王は頭に角がある怪異な容貌だったので、妻がなかなか見当たらない。そこに天帝の使者がやってきて「竜王の美しい第三女の頗梨采女(はりさいじょ)を妻として申し受けろ」とお告げをします。さっそく牛頭天王は妻を迎えに南海に向かいますが、途中に疲れてしまって夜叉国の巨旦大王(こたんだいおう)に宿を求めます。
しかし、巨旦大王には宿を断られてしまいます。次にとても貧乏な蘇民将来の家に行って同じように宿を頼むと、快く受け入れてくれた上に一瞬で竜宮城に着ける宝船を貸してくれました。
その宝船に乗り、めでたく妻を迎え8人子どもに恵まれた牛頭天王は、竜宮城から自分の城に帰る途中に巨旦大王に復讐します。
その後、蘇民将来の所へ行き「私は今後、疫神になって禍をもたらすが、あなたの子孫には手を出さない。そして病気にかかりたくなかったら次の祭礼をきちんとおこないなさい。正月の鏡餅は巨旦の血肉。3月3日の草餅は巨旦の皮膚。5月5日の勝負のちまきは巨旦の髪。7月7日のそうめんは巨旦の筋。9月9日の菊水の酒は巨旦の血。これは巨旦の調伏である。」と、言ったという事です。
なぜ蘇民将来は貧乏なのにそんな宝船をもっていたのかが私的にはすごく気になりますが(そして嫌なヤツ(?)だった巨旦大王を食べるのがどうして厄除けになるのか)いきなりやってきた頭に角がある人(神だったけど)に宿を貸さないだけでバラバラにされ子々孫々まで呪われてしまうようなので、現代人で良かったです。
ちなみに現在、祇園祭のお神輿に乗っているのは、スサノオノミコトその妻のクシナダヒメ、そして二人の8柱のこども達。
しかし明治政府が神仏分離を進める前はスサノオノミコトではなくスサノオノミコトのもう一つの姿とされる「牛頭天王」とその妻「頗梨采女」がお神輿にのっていました。
「牛頭天王」は疫病除けの神といわれていますが(さっきは「疫神になる」という物語だったのに)本地垂迹説においては「薬師如来」がその本来の姿であるとされています。
当寺のご本尊は薬師如来です。また、祇園祭を行う八坂神社の前身の「祇園社」は、天台宗の総本山である比叡山延暦寺の末寺でした。
「薬師如来」と「祇園社」、そして「天台宗」
初めて見た祇園祭でしたが、思いがけず天台寺とのご縁を感じることができて、とても感慨深かったです。
※牛頭天王と蘇民将来の説話にはさまざまな伝本があります。本ブログで紹介した内容は、『中世京都と祇園祭』(脇田春子著・中公新書)が引用する『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』に基づいています。





